復帰をバネに組合をリード
兵高教副委員長 吉田 豊
今日は私の兵高教副委員長としての初仕事になるようです。
この間、ずっと定時制統廃合反対の運動に取り組み、街頭署名も短期間で三万四千人余りの署名を得た。しかし、残念ながら尼南もつぶされようとしている。
そこで、私がなぜ兵高教の副委員長になったのかといえば、尼南の佐野校長が警察官を導入するという事件があって交渉をしてきたが、尼南を卒業した障害児の母親が佐野校長が「障害児に卒業証書を出したのは間違いだった」と言ったので、だったら卒業証書を返しますと言って佐野校長の前に行って卒業証書を返したんです。
そのことによって、佐野校長が初めてグラグラとしたんです。その場面を私もそこにいて自分の体が硬直して身動きできなかった。
なぜかというと僕は昨年は尼崎支部の本部執行委員で出ていたんですが、組合の立場から一切佐野校長に抗議できなかった。
そういう組合が障害児の親に、宝物である卒業証書を返させてしまった。
そいうことで私らも何か突きつけられているような感じになって身動きできない状態になった。
このままではいろんな考え方の違いがあっても組合がこのままではアカンと、問題提起できればと思い結果として副委員長ということになった。気が付いたら市芦分会は兵高教の中の最大分会です。今まで市芦にはあまり興味がなかったんで(それは本音や)(笑)、市芦の人は疲れているんでしょうから、あまり表舞台には出てこなかった。だけど一〇数名の最大分会で、今回、鈴木さんと吉岡さんが帰って、元気が出てると思うんで、昨年の反省として、定通制統廃合反対闘争が遅れてしまったし、その失敗を繰り返したらアカンので、今後全日制の統廃合の話になっていくので、市芦の廃校問題も出てくると思う。
市芦分会が是非兵高教をリードして頑張って下さい。
「反省しない先生」を戻した勝利
兵高教阪神支部長 石塚 健
三人の先生の復帰おめでとうございます。いろんな力の要因が重なり合ってこのことが実現したという話ですが、やっぱり根本は救援会に結集している人達の力と、その先頭で頑張った市芦の先生方の闘いがこの結果をもたらしたものだと思っています。
なぜこんふうに言うかというと、だいぶ前ですが、「九人の先生は反省せよ」という格好で現場から放り出されたわけですけども、反省しないまま現場に返したいという話を以前した。
お二人の先生はいっこも反省しないまま現場に帰っていくわけですから、これは我々の勝利だということをおさえていいと思います。
さらにこんなことを考えたんですが、実は反省せよと九人の先生を放り出したが、そうすれば市芦が正常化するだろうと当局は思っていたようですが、その九人の先生は放り出された先でそれぞれ闘いを始めたわけですね。
まったく仕事をしないとか、かってな仕事をどんどんするとか、このままでは市教委が大変なことになるということで、おまけに公平委員会では恥のかかされっぱなしで、裁判の見通しも暗いと、当局は実はチャンスがあれば何とか帰したいと考え始めたんじゃないかと思う。各々要因が重なって、そいういう意味で当局の方が反省しない先生を戻し始めた。
やはり勝利とよんでもいいと思う。
あと二年くらいだが、当局は大したことはでけへんと高を括ってるだろうけど、とんでもないことになると思います。
そういう意味ではまた大きな闘いが始まると思う。残りの五人の先生の早期復帰は近いと思うので、今後とも市芦救援会と共に兵高教阪神支部は歩んでいきたいと思っています。
一生離れへん
麦の家 永岡隆仁
市芦の先生とは、二五年以上の付き合い。こんなに市芦と腐れ縁になるとは思わなかった。家の一番上の子が市芦の入学にからんでから、それでも一〇年たつ。
三年前、麻田先生が復帰した時、真ん中の子が市芦に入った。うちの子は市芦に行ったら茶髪にせないかんというて(笑)、今年卒業した。入れ替わりに一番下の子が市芦に今年入った。麻田さんが担任になっている。昨日もうちの子が市芦に入ったら耳にピアスせないかいうて(笑)、三つも穴を開けて、痛い、痛い、痛いいうて、明日からピアスあけて行きますので、あと三年お世話になります(笑)。
市芦の保護者として私らも市芦闘争をやってきた。市芦の仮設に住んでました。赴任してました(笑)。役所から早く出て行け、出て行け言われて、強制配転もされそうになりました。でも最後まで残ってました。ただ、その後オレが市芦のグランドの仮設に入る時、深沢さんが「あんなところよう住むな」と言って、明日が引っ越しやというその晩に荷物詰めてる時に、そんなこと言うか(笑)。
ところで深沢さんもいよいよ結婚で(笑)、その弁護士さんの嫁は、まだ見たこともないし、さわったこともないし(さわるな!笑)。この間ある学校でバイクに障害児の子があてられた事故があって、これはもう弁護士の出番やなと思とったんやけど、深沢さんは一切弁護士の話は出さなかったなあ。何とかしてくれ言うとんのに、冷たいやっちゃでこいつは(笑)。
そんなこんなで、俺らも市芦闘争をしてきた。こだわってきた。何にしても腐れ縁ですので、僕らがこの芦屋におる限りは、まとわりついて離さないんで(引っ越しの予定は?)(笑)。これからも宜しく。一生離さへんし。鈴木さんが復帰しても一緒やで(あとの五人は帰りたくない言うぜ)(笑)。俺は五人が帰っても帰らんでもどっちゃでもええねん。芦屋におったらええねん。これからもうちの子を三年間宜しく(笑)。
オアシスで市芦は日本一 ?
市芦保護者 永岡英子
昨日、市芦の入学式に行き校長の訓辞を聞いた。あの人「市芦を日本一の良い学校にするためにオアシスを守って欲しい」と言うた。私はふだん人の話をあまり聞かん人間なんやけど(笑)、オアシスて何かなと思った。 オ‐「お早う」を言う。 ア‐「有り難う」を言う、 シ‐「失礼しました」を言う、 ス‐「すいません」を言う。 私はこれは野活センターかなと思ってね(笑)。ふと先生方の顔見たら鈴木先生は寝てやんねん(寝てへんよ)(笑)。大角先生が横で寝てた。あ、そうか、ここは野活センターやからええんかて(笑)。
その後に北村市長が出てきて「日本一の学校にすると言われたことに感激した。この校長があって、この一年生はすばらしい」と。うちの息子にあとで、あの話聞いてたかというと「学校をなくそうというてんのに、俺らがおる間にでも市芦があるかどうかもわかれへんという噂があるのに、日本一の学校になんてよう言うわ」と(笑)。うちの息子もしっかりしとう。
麻田先生が担任になったというんで、どうやと聞いたら「あのオバハンは、おかんみたいなオバハンや」。(ようみとる)(後で補足さして下さい。麻田)(笑)
市芦に入ったとたんに、鈴木先生、吉岡先生が帰ってきた。良かった。これでうちの子は無事に市芦を三年間で卒業できるやろうろ(笑)。茶髪もええし、何してもええと、昨日の家族会議で決めました。(俺は反対したけどな(父)笑)。(そら反対せないかん)
世の中に出た時に生きていく力を付けて欲しい。家の生活を向上せないかんしね。どうか宜しく生きる力を。
オカンと同じ波長
市芦分会 麻田利子
担任の麻田です。取りあえず一年間は責任を持ちたい。二年になったらクラス変えて欲しい(笑)。というのも一年から二年に上がれば後はスムーズにいく。一年でつまづくと卒業せずにおる子が多い。
お母さんに似ているといった話は、入学式当日、クラスで貴重品を袋に入れて預かろうとして、携帯電話を持ってる子が二人いた。
一人が茶髪の子でもう一人がここの息子。「この袋に入れて」いうたら「ええわ」。私は優しいから、「入れたらどう」「いややいうとるやないか!」。「やかましい!明日から学校に来るな!」と言ったら、すぐ入れました(笑い)。
(体が反応する波長が一緒なんや)(笑)
芦屋をおもしろく
市民 小寺山 康雄
芦屋市民という紹介ですが、臨港線から南はね、市民じゃない。何で市民じゃないかというと(税金払ってない(笑))、間接税は払ってるよ(笑)。芦屋に来たときに、水道局の人が説明した。芦屋には二つ水道がある。一つは、奥池のミネラルウオーターを飲む階級と、もう一つは、汚れた琵琶湖から淀川を通ってくる水を飲む階級。奥池はどのようなあたりと聞くと、「阪急の北で六麓荘のあたり」という。では二つの水道料金は違うのかと聞くと、「同じ」やという(笑)。
シーサイドが作られたときはおおもめにもめて、県が造成したけど、芦屋市も水道などの工事で金がかかり、しかも、入ってくる人間は税金が安い人間しか来ないと(笑)。したがって「みなさんは芦屋市民ではない。瀬戸内市民だ」と言われたんです。
ぼくらでもそやのに、後から付け足したようにできた陽光町あたりは市民であるはずがない(笑)。そんな芦屋に来てもう一三年。そのころ、あのアントニオ・グラムシを原著で読んだ鈴木さんがとばされた。(アントニオ猪木か?)(笑)。やっぱり市民ちゃうやろ(笑)、市民というのはもうちょっと教養があってやな(笑)。その鈴木さんがとばされた時に、何かしようと、ビラを三回ぐらいまいたかな。あれは歴史的名文ですね(笑)。三回ぐらいまいて、息切れして、まあ、それ位でええとこにいくやろなと思ってたら、いつまでも続くし(笑)、あの、僕は長いこと持たないんです(笑)。はじめ、おもろい時だけやるんです(笑)。(それが闘争や!) あの、市民運動なんて、面倒くそうて、大嫌いやったんです。今でもあまり好きではないんです。そしたら、四年前に震災が起こって、またムチャクチャしとるわけですな。自分で家を建てるいうてんのに、まかりならんいうて、「おまえの所は区画整理で削る」とかいうて、中央地区などまだ更地が多いでしょう。まだ決まってないから家を建てよう思っても建てられないんです。そういうような運動をまた四年前からやったりして、これは僕にしてはめずらしく四年も続いています。
今回、二人、三人と返して、裁判はそんなに楽観できるんかなと思うけど、ともかく、自分らが闘ってきたという事実がすごい。ぼくらの市民運動も一応四年先までやろうと言うてます。こういう市民運動も皆さんにとって応援になるだろうし、これからの芦屋もおもしろくできるやろうし、市民でない市民が市民運動をしてると。まず、おめでとうございます。鈴木さんも吉岡さんもあと二年位しかないと思いますが、せっかくもどったんやから、跳ね上がってがんばって下さい。
深読みはやめよう
全港湾 中村 猛
今、春闘で、私のとこは産別組合ですから五〜六社と話しているんです。向こうさんの言い分はめちゃめちゃですね。世の中は年功序列賃金というのはもうダメだとか言いながら、今年の日経連、経団連が何を言ってるかというと、「定昇はするけどベアしない」と、おかしいんです、それだったらまず定昇をやめんかい、ベアでこんかいと、彼らもその筈なんですが全く一貫性がない。
学校の先生はいろいろ分析するのが好きですが、三人帰ったから、あと五人をどうするか、ということだけでしょう。深読みはやめよう。日本の運動は深読みばかりしてダメになってる。(俺らもいきあたりばったりや(笑))いきあたりばったりの方が強いんやから。(それであかなんだのが阪神やないか、ちっと位考え(笑))あと五人ということで、とりあえず勝ったと。
僕が結婚するまで闘いを続けて
兵高教書記次長 金山健二
今年から本部の書記次長で出ています。一三年になるんですね。僕が教師になって一三年なんです(笑)。右も左もわからんときから、市芦の先生が、わからんけどとばされとると、市芦の正門の桜の木の下につれていかれたんです。(ダマシやな(笑))それからようわからんままに一三年たって(笑)、ヤジいうのはどうやって飛ばすんかいうのを一つ勉強して、中堅になってしまいました(笑)。
一三年のこの市芦の復帰もうれしいというか、それ以上にビックリしたのは深沢さんの結婚で(笑)、独身というのは、僕の頭の中には、まだあの人とあの人がおって、まだ大丈夫やとおもとったんですが、深沢さんが電撃結婚されて、あと、私と同じ職場の阿部さんがおられるし、他にも、まあ、壁の一つが崩れたと。もう三五歳になりましたから、深沢さんのお年になる位までに(長いな)(笑)、残りの五人の先生が帰られるのと、僕が誰かいい人を見つけるのと、闘いというのは大事ですから(笑)、市芦闘争は僕が結婚するまでは続けてほしいと思います(笑)。
定通統廃合反対闘争は継続中
県高支部書記長 阿部拓二
今名前の出た阿部です。昨年、本部の定通部長をしてました。今年、県高支部の書記長をすることになってます。大変な仕事やなと思ってます。定通統廃合では、尼南も東神戸もやられましたが、まだ撤回せよとの運動をしています。まだ終わってないんです。これを全日制でも広げたいと思ってます。市芦もよろしくお願いします。
大変やろうけどがんばって
城内高校元教員 辻 正博
三人の先生方、おめでとうございます。ただ、いいとこに帰るんじゃなくて、しんどいやろなと思うんです。五八歳で帰られるんやから大変やろなと思うんです。
昨日、離任式にいったら、城内高校は今年一年生が六五名おりまして、普通一クラスなのを二クラスに分けてました。それだけ盛況になってるんですけども、三一日の辞令交付式があったんですが、尼崎の教育長のところに行った時「今年は定時制も生徒が多くなってるのでよろしく」と言ったら、「もう単位制高校ができたら城内もどうなるかわかりませんよ」という言い方ですね。「働いてる子がおらへん」と言うので、「そんなことないですよ」と言っても、「晩に働いてるやつがおって、昼にいけるんや」と。「今年は働いてる子が増えてますよ」と言っても、「単位制に行くやろ」と、ことごとく否定されました。
尼崎の教育長がそういうことを言ってますから、定時制というのはもっときびしくなるなという感じがしました。だから、市芦も廃校の話が出てますが、向こうは本気で考えてるやろなと思います。鈴木先生らが帰られて、また、なんか始まるんやろなという思いがします。大変だろうと思いますけど、がんばって下さい。
市芦の先生らが好きで
兵高教丹有支部 加藤博康
元々阪神支部にいたんですが、都合で丹有の方にかわりました。公平審からずっと行ってます。公判になって一回だけ欠席しましたが、なんで行ってたかというと、市芦の先生らとか阪神支部の先生らが好きで、執行委員会でうれしくて。自分自身が教員をやめろと言われたらどうか、ということを考えなかったことを、最近ちょっとわかりかけてきた。 教師という仕事が好きになって、できたらずっとと思い始めて、それを否定されたら、心の支えを失ってしまうんじゃないかと考えて、今回先生方が帰られて、執行委員会で聞いて、本当にうれしく思いました。おめでとうございます。来年は何人かなと思ってます。
市芦教育が心の支え
元市芦教員 西田正博
おめでとうございます。大阪で、まだ全教の組合の中にいます。ほとんど闘争のお手伝いもできませんでした。大阪で大変な教育現場におりまして、その際に、僕自身の心の支えになってるのは、市芦でいろいろ教えてもらったことだとなと思ってます。