9・9 「市芦があって何が悪いねん!」市民集会 集会決議
決議文
市長・教育長・教育委員会・学教審会長・一部議員らは、ぐるになって市立芦屋高校を既定方針どおり廃校にしようと躍起になっている。
三月二四日、廃校を答申した学教審は、たった二回、のべ三時間審議をしたにすぎない。長期間かかって多くの市民の努力で創設した市芦を、ごく一握りの人間のクーデター的謀略によってあっという間に廃校される。こんなことが許されるはずがない。廃校にしたら二度と市民の学校は創れないのだ。
審議のために使った資料は、九〇年以降十年間のものである。つまり、九人の教師を強制配転し、しゃにむに強行した「教育改革」なるものが、無惨な結果に終わった十年間の総括として、廃校を答申したのだ。
答申には、多くの卒業生とその親たちが証言する、九十年以前の三十年間に及ぶ市芦の苦闘と誇るべき成果は、まったく反映されていない。答申は、鳴り物入りで喧伝した彼らの「市芦改革」の失敗を追い隠すため以外の何ものでもない。
答申を受けた教育委員会は、わずか二日後に「半年以内に廃校スケジュールを策定する」と言明した。その後、今日まで実質的な討議を一切しないまま、九月二五日に廃校を決定しようとしている。
市長は、神戸地裁で不当労働行為の犯罪と認定された九人の教師の強制配転に責任を負うべき立場にいる。にもかかわらず、犯罪の責任をとるどころか、控訴することによって、犯罪の上塗りをしている。さらに無惨な失敗に終わった「市芦改革」は、市長が教育委員あるいは教育委員長時代に陣頭指揮したのである。
市長は、そのことに誰よりも政治的・道義的責任を負うべきにもかかわらず、学教審答申以前に市芦の敷地を民間業者に売り渡す密約をしているとの疑惑に、まともに答えようとしない。市長の道義は地に落ちている。
一部の議員は、市議会で本格的な議論が始まっていないのに、市芦廃校が既定事実であるかのように喧伝している。これらの議員は、いずれも助役の汚職に関与した議員と同一会派か、その周辺にいたものである。
市長も、これらの議員も、汚職容疑で公判中の富田前助役が中心となって策動した南芦屋浜総合公園建設を積極的に推進している。総額二五四億円(内、借金一二一億円)の土木事業は推進しても、この借金の利息の七分の一でしかない市芦運営費は財政難の口実で認めようとしないのだ。
教育・環境・福祉・文化事業などは、財政難を理由に大幅に削減する一方で、もっとも財政をひっ迫させる土木事業にかくも熱心なのは、それが利権をもたらすからである。
市芦を廃校させようとしている彼ら彼女らの魂胆に一片の道義もない。
市芦は、市内在住の高校進学希望者を全て受け入れることをめざして創立され、そのために奮闘してきた。
市芦は、貧困、学力、障害、民族、部落など、あらゆる差別と向きあい、差別と闘うために苦闘してきた。
市芦は、一握りのエリートのためでなく、さまざまな立場の人間のさまざまな生き方、価値観を知り、認め、尊重しあう市民を育てることを、もっとも大切なこととしてきた。
我々は、このような市芦を創設し、育ててきたことを喜び、誇りに思う。市芦こそ、芦屋市が文化都市として自認するのであれば、まさしく香気あふれる「文化」である。それゆえに、市芦を廃校させようとする策動に対しては徹底的に闘い、断固市芦を存続させるため闘い抜くものである。
右、決議する。
二〇〇一年九月九日
「市芦があって何が悪いねん!」市民集会参加者一同