13回生 M.T. 1986/10

 集会の日、仕事の都合もあって少し遅れて一番後ろで話を聞くことになりました。
 なぜか分らないけれど、前列に行くことに抵抗を感じ、本当は集会に行くこと自体にも抵抗を感じていました。しかし、部落研の卒集生、朝文研の卒業生の話を聞いていると、自分はどういう立場の市芦生だったのかと思い返しました。

 自分が育った家は、父親は酒乱で母親が働かないと食べていけない状態が毎日続く家庭でした。お決りのパターンで、宮小、精中の時、勉強ができないまま授業が進み完璧な落ちこぼれでいました。中卒で就職しましたが、すぐやめてしまい職を転々としました。その頃、元精中の担任の先生が市芦の入試を受けることをすすめ、市芦に入ることができました。
 市芦での担任は深沢先生でした。クラスには朝文研、部落研の生徒がおりホームルームでは.自分達の生い立ぢを生徒皆に話していた。
僕は何で自分の生い立ちを他の人間にいうんや、恥しいことやのにと思っていました。しかし、ホームルームでの皆の話は自分のこれからの人生の方向をはっきりさせいるためのもので、必死で訴えていました。僕も徐々に話に入っていき、自分の生い立ちを話すようになりました。
 途中、深沢先生や他の先生方に、お前の考えは甘い等、いつも言われ、自分がこれから大人になってやっていかかなければならない事の基礎を教えてもらいました。
 また、市芦の先生には死んだ父親が残し早く返さなければならない借金の返済のために、いろいろ走り廻って頂きました。ただの先生と生徒の関係なのに、ここまでしてくれる学校はなかながありません。
 今、市芦を卒業し就職をして頑張って生きていられるのは、市芦の先生方のお陰です。
 生徒一人一人の事を考えてくれる市芦を、ごく一部の人間によって壊されることは、僕たちが市芦で教えてもらった事全てを否定されるものであり、今の僕の生き方自体も否定されるものであります。
 これまで、一生懸命やってこられた市芦の先生方に対しての弾圧は、絶対にはね返さなければなりません。
 応援します。頑張って下さい。